HSPの改善に必要なもの


HSPに関して言えば、積極的に治療したことはありません。
けれど「心と体をトータルに治療する」と言うホメオパシーの特徴故か、
HSPの症状に変化がありました。

具体的に言えば、ずいぶんと生きるのが楽になりました。

実はHSPの感覚は鋭くなったような気がしています。
匂いや音にもそうですが、
身体感覚や直感やその他いろいろな感覚が研ぎ澄まされたように感じます。

以前はHSP以外にも症状がたくさんあり、
本来感じ取れるはずだったのに痛みやだるさのためにわからなかったものが、
余計な症状が一つ一つ無くなったことによって
より敏感に感じられるようになったからかもしれません。

うん、常にずううううううっと痛かった時に比べれば、
時々しか痛くない今のほうが痛みを強く感じるかも。

じゃあ却って生きにくくなったのではないか?
と、HSP当事者の方は思うかもしれません。

でも、実感として楽になった。
それがどうしてかわからなかったのですが、
最近何人かのHSP当事者の方からメールをいただいて、
気が付いたことがあります。

それは「自己肯定感」が生まれたことだと思います。

「私はここにいていいんだ」と思える感覚。
今の私のはもっと図太く、
「私は何があってもここにいる」くらいに思っています。
(「HSPは育ち方でずいぶん違ってくるみたいです」参照)

HSPや発達障害などがある方は、
皆さん精神医学関係の勉強をたくさんしていらっしゃいます。
私も二次障害があったころに沢山本を読みました。
結論として、「分析はしていても解決にはならない」と思い、
勉強をやめましたが。

そういう知識から言えば、
「自己肯定感が必要」とは割とよく知られていることだと思います。
カウンセラーの先生も、そういう言葉を使います。
人生相談サイトにも、そういう言葉がよく見られます。

けれど、それは言葉だけでは、
あるいは知識だけでは、ダメなのです。
頭が知識として理解しているのではなく、
心がそう実感して納得しなければ。

今のこの自己肯定感は、
「気がつけば」そうなっていたという感じです。


以前の私は「過敏」であることに強いコンプレックスがありました。

幼いころから私は両親に「神経質にならないように」
「気の持ちようだから」と言われて育ちました。
それは親が神経質な私のために良かれと思ってしてくれたことだと私は思っています。
(「KEEP・気の持ちよう」参照)

けれどHSPは親がそう思ってしてくれたことも
「過剰な刺激」と感じてしまうという特徴があり、
私も「神経質であること」に強いコンプレックスを感じていたようです。

そう自分で認めることもできないほどに。
(「HSPの『不健全な家庭環境』の背景にあるもの」参照)

「過敏」でありながら、「過敏」には見られたくないと、
必死に自分と周囲をだまし、平気な振りをし、
時にはガサツに見られたいとさえ思っていました。

でも実際には周囲の出来事一つ一つにびくびくしていました。
例えば誰かが私を手伝ってくれようとしたら、
「私がダメだから手伝おうとするのか?」と不快に感じました。
具合が悪いときに「休んでいい」と言われると、
「私は不要なのか?」と思いました。
自分には関係ないことにも手を出して手伝おうとし、
体力がないから体を壊しました。
頼まれごとをすると「良い人」に見られたくて断れませんでした。

常に人が自分を見ているように感じ、
家の中にいても自分の行動を家族が意識しているように感じ、
どこにいても人も物も空気もすべてが私を見張っているように感じていました。

けれど、それは実際には逆で、
私がすべてのものを意識していたからなのだと今ではわかります。

常に神経が張りつめた状態で、
それが私にとっての普通で、
しかもそれを人に悟られたくないし、
自分でも気が付きたくありませんでした。

そういうややこしいことをしているから常に疲れていました。

けれど、気がつけばそういう状態がなくなっていました。
たぶん2年位前からだったと思います。
ホメオパシーを初めて2年近くたったころです。

常に「自分はここにいていいのか?」
「どこか他へ行くべきではないか?」
「傷つく前にどこかへ逃げ出そう」と思いがちだったのですが、
ある日、自分に宣言しました。

「私はここにいる。どこへも行かない!」
自己肯定感はそのころから生まれたように思います。

今では自分が過敏であることを誇りにさえ思っています。

この力は他者の痛みや心を深く感じ取れたり、
他者を気遣うことのできる能力であると思っています。
そうありたいとも思っています。

私はそこにどのような力が働いて、
自己肯定感が生まれたのか今はまだわかりません。
ホメオパシー以外に自己肯定感を生む方法があるのもかわかりません。

知識としてだけなら簡単に身につくと思いますが。

思えばHSPは「群れの警告者」であるという説があります。
その種族を存続させるため、
危険が及ぶと仲間に警告を発し、
いち早く逃げるための能力。

そう考えると、
「ここにいていいのだろうか?」と考えてしまうのは
当然のように思えます。

現代の人間に警告者が必要なのかどうかわかりません。
それは今のわたしにとっては、どうでもいいことです。
自己肯定感があるから、「存在意義」も考える必要のないものです。

存在意義があってもなくても、
私はここにいていいからです。

私はここにいて、大地にしっかりと根を張り、
空の青さや太陽の光、空気、雨や雪、風、虫や鳥、
空の向こうにある宇宙やすべてのものを必要とし、
感じ取って伸び行く木のように、
この世界の一部としてすべてのものと繋がっていたい。
私に影響を与えるすべてのものを感じ取っていたい。
それらすべての存在を肯定できる自分でありたい。
(「正しいと思える」ではありません)

なんだかよくわからない大げさな表現だと自分でも思うけれど、
今はこれ以上のことは書けません。
これからまた自分を知り、成長し、この漠然としたものを深く理解し、
なぜそうなったのか、
何故そう感じるのかわかる時が来るのかもしれません。

今が、すべてではない。
ずっと苦しかった過去があり、
それゆえに出会ったものがあり、
未来の私へとつながる私がここにいる。

私はここにいていい。


それが、HSPに必要なことだと、
今はそう感じています。